善日麿詩篇 第二部 伊豆法難


 「松葉ケ谷法難」(文応元年、1260年)後、日蓮聖人は「法華経寺」(千葉県市川市)に避難しておりましたが、翌1261年に鎌倉へ戻り、いっそう活動を活発化させます。

 しかしながら、社会的不安を増大させる危険人物として「御成敗式目」第12条の悪口の咎(とが)により、執権 北条長持 その父 重時によって捕らえられ、伊豆・伊東に流罪となってしまいます。

 流刑執行の際、急な知らせを受けた弟子の日朗上人が流刑出立地の由比ケ浜(神奈川県鎌倉市)へ駆けつけ、役人に向かって同行を願い出ますが、役人は櫂(かい)を振り上げて殴打し日朗上人の右肩骨を折ってしまいます。

 舟はそのまま伊豆へ向かい、途中の俎板岩(静岡県伊東市)に日蓮聖人を置き去りにしてそのまま帰ってしまいます。その俎板岩は満潮時には水没するため、流刑とはいえ、日蓮聖人の溺死を目的をしたものだった様です。

 しかし幸いにも、そこへ漁師の舟守弥三郎(ふなもりやざぶろう)が通りかかり日蓮聖人を救い上げ、川奈(静岡県伊東市)の洞窟に匿まったとされています。

 俎板岩については諸説ある様ですが、本作品は上記のストーリーを元に創作されています。

 ちなみに、流罪の際に使われた御用船の6分の1のレプリカが妙長寺(神奈川県鎌倉市)で拝見出来ます。

 初演は2017年10月15日、日蓮宗一乗寺本堂(長野県安曇野市)において、松本ウインズ・コンソートの皆さんによって行われました。