善日麿詩篇 第一部 松葉谷法難


 日蓮聖人は1222年2月16日、安房の国、長狭郡東条郷小湊(ながさごおりとうじょうのこみなと)、減算の千葉県鴨川市小湊に生まれました。誕生の際には、鯛が群れ集い(現在の鯛ノ浦)、海一面に蓮華の花が咲き乱れ、庭からは清水が湧き出たと言われています。御幼名は、本作品のタイトルにもなっている「善日麿」と名付けられました。

 御法要の際には御詠歌が歌われますが、その誕生の部分をこの作品に取り入れてあります。

 12歳から清澄寺で勉学に励み、16歳で出家。その後、鎌倉、京都、奈良などの諸寺を巡り遊学を行い、時を経て、松葉ヶ谷(現在の鎌倉市)に草庵を構えて普及活動を行います。
 建長8年(1256年)から5年間に疫病、飢饉、暴風雨、大火災などの災害が相次ぎ、中でも正嘉元年(1257年)8月23日に鎌倉を襲った大地震では数万人の死者が出たと言われています。こうした状況を憂いた日蓮聖人は「立正安国論」を唱え、鎌倉幕府に奏上しますが受け入れられず。他宗の反感から、文応元年(1260年)8月27日には松葉ヶ谷の草庵を焼き討ちにされてしまいます。これが四大法難のひとつ「松葉ヶ谷法難」です。

 日蓮聖人は松葉ヶ谷法難の際に、一匹の白い猿(一説には三匹)に導かれ難を逃れ、「法性寺(神奈川県逗子市)」の岩窟に案内されたと言われています。その岩窟は今でも残っています。

 その後、さらに「法華寺(千葉県市川市)」に避難しますが、日蓮聖人は時を待たず鎌倉へ戻り、一層活動を活発化させます。

 

 この作品は、日蓮聖人の「誕生」と「松葉ヶ谷法難」をテーマにしています。また、「誕生」では「法華和讃 聖詠」が主題として使われています。

 

 初演は2018年10月22日、日蓮宗 豊興山 一乗寺本堂(長野県安曇野市)において「松本ウインズコンソート」、「ウインドオーケストラあんこ〜る」の合同演奏によって行われました。

 

 写真は初演の際の様子です。